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中学のイジメの元凶は閉鎖性密室を生み出すクラス制

1 :実習生さん:2008/02/21(木) 19:44:38 ID:qMIDJl8N
クラス制度のために苛められる犠牲者が決められる。
クラス制度という密室を廃止すれば、警察の取調べの可視化と
同じ理屈でイジメなど根絶する。


2 :実習生さん:2008/02/21(木) 21:28:38 ID:gtx+mx0+
科目ごとの教員が角クラスを廻っておんなじ授業を何度も喋るような
非効率な事しなくても、クラスを廃止して体育館のような広い場所に
全学年生徒を集めて教員がマイク持って喋ればいいのに。
集団リンチとか残虐なイジメの始まるのは、授業と授業の休み時間なのだから
クラスの区切りが無ければ他のクラスの目撃者が、警察へ110番する事も
できるわけだし。

3 :実習生さん:2008/02/21(木) 21:42:29 ID:/9WWKA99
4すぁま

4 :実習生さん:2008/02/21(木) 21:50:05 ID:/9WWKA99
4

5 :実習生さん:2008/02/21(木) 21:56:07 ID:XPSABFTn
重複

○●○●いじめ統一スレッド26●○●○
http://school7.2ch.net/test/read.cgi/edu/1198770033/

-----------------終了-----------------

6 :実習生さん:2008/02/21(木) 22:25:22 ID:0YW0Oj88
>>2
数100人を体育館に詰め込んで同時に一つの授業を受けさせるわけか?
究極の管理教育だなwwwwwwwwwwwww

7 :実習生さん:2008/02/21(木) 23:30:22 ID:ly/kvUO/
>>2
寝るガキ多発wwwwwwwヤバスwwwww

8 :実習生さん:2008/02/22(金) 02:01:11 ID:DGonTg++
http://www.harajukushinbun.jp/headline/406/index.html
「いじめ学」内藤朝雄氏に聞く、問題の深層と対策(1) 
 日を追うごとに深刻の度を増す、連日のいじめ報道。だが問題のあまりの根深さを前にして、我々大人が口にできることといえば「命を尊重する教育を」に代表される手垢の付いた反省、実効性の疑われる対策ばかりだ。
 いじめをめぐる言葉が10年、20年前からなんら変わらない状況に半ば絶望を覚えながら、著書「いじめの社会理論」などで具体的提言を続けるいじめ問題研究者・内藤朝雄氏(写真=明治大学助教授)を訪ねた。
「現状の学校制度を根本から変えない限り、いじめによる自殺はなくなるはずがない」と説く、内藤氏の主張とは。
―――こうした悪質ないじめが発覚すると、必ず起こるのが「最近の子どもたちはどうなってしまったのか?」という戸惑いの声だ。彼らが行っているいじめは、本当に我々が子供の頃にあったそれとは異質なものだろうか?
「まず断っておきたいが、悪質ないじめは時代に関係なく、閉ざされた濃密な人間関係の中にあっては必ず起こる。
戦時中に集団疎開した世代が経験したいじめがいかに陰湿なものだったかは、彼らの回想録、文学作品などには克明に記録されている。現代の子ども特有の現象では全くない」
 ―――いじめへの対処をめぐっては、道徳教育やスクールカウンセリングの拡充などがここ20年以上議論されてきたが、効果が上がったようには見えない。では、我々は一体何をすべきなのだろうか?
「いじめの対処法は大きく分けて二つしかない。暴力を伴ういじめに対しては、市民社会における当然のこととして法システムに委ねる。すなわち警察や弁護士を学校に介入させる。
私の知る限り、ほとんどのいじめは安全確認が済んだ状況で行われ、多大なリスクを覚悟してまで実行されることはない」
「一方、『シカト』や『クスクス笑い』といったコミュニケーション操作系のいじめは、警察に任せることはできない。
また教員の能力にも個人差がある以上、現行の学校制度の枠内でベストを尽くすといっても限界がある。だとしたら、学校制度そのものを根本的に変えるしかない」

9 :実習生さん:2008/02/22(金) 02:06:27 ID:DGonTg++
http://www.harajukushinbun.jp/headline/408/index.html
「いじめ学」内藤朝雄氏に聞く、問題の深層と対策(2)
―――具体的にはどのようなことか?
「学級制度の廃止だ。この制度自体は他の国にもあるものだが、日本ほど人間関係がタイトで、一つの空間に同じ集団が朝から夕方まで押し込められる例は他にはない」
「あなたの子どもがクラスの誰かから人としての尊厳を踏みにじられるような行為を受けたとする。だが、こうした閉ざされた人間関係にあってはその子は無理に心を屈し、嫌われない努力をするほかない。
『迫害してくる相手とは適度に距離を置く』という、一般社会では誰もがやっている心の調節を、子どもにだけ許さないのが現在の学級制度だ」
「本来、机を並べる相手は授業ごとに違っていていいし、いつもの教室で決まった相手と食べる給食ではなく、カフェテリアで気の合う相手と食事をするスタイルでもいいはずだ。部活動にしても学校に頼る必要はない。
ドイツなどが典型だが、子供たちはスポーツや文化活動も学校とは別の地域クラブに所属して行い、そのたびに人間関係のバリエーションを増やしている。
これに対しクラスという枠に固定され続け、ほとんどその範囲内でしか人間関係を選べないのが日本の子どもたちの現状だ」
「たまたま同じクラスに振り分けられたというだけで課せられてしまった、理不尽な人間関係から子どもを開放する必要がある。
それぞれの子が、自分にとってより適切な人間関係を選ぶだけの選択の幅があれば、自殺にまで追い詰められるような危険な人間関係に甘んじる必要はなくなる」
―――これまでもいじめの問題が何度も取り沙汰されながら、学級制度という仕組みを動かすことに目が向かなかったのは、なぜだろうか?
「学校という場所を必要以上に神聖視しすぎた結果だろう。市民社会において人命以上に尊重されるべきものはないはずだが、ある種の『教育系』の人々のあいだで、人間の尊厳や人命以上に、『教育』そのものが重要な価値になってしまっている。
だから暴力に対しては警察に任せる、迫害の加害者には損害賠償をするといった、市民社会では当然のルールが学校に限って適用されないまま良しとされてしまう。だがそのことにより、いじめの温床となる閉鎖空間はますます強固に維持されていく」

10 :実習生さん:2008/02/22(金) 02:07:55 ID:DGonTg++
http://www.harajukushinbun.jp/headline/408/index.html
―――いじめによる自殺や、自殺予告が毎日連鎖的に起こっている。渋谷区も今やその当事者だが、このような状況をどう考えるか?
「教育が神聖視されるあまり、『加害者を罰する』という当たり前の仕組みができていないためだ。そのような状況では、いじめられる者のなけなしのプライドは自殺という方法でしか訴えの形を取れない。
実際自殺する子の多くは、加害者を司直の手に引き渡すことを思いもしないまま死を選んでいる。
 だが、いじめを放置した担任教師が厳正に処罰され、加害少年に責任を取らせる制度が確立されたならば子供たちのエネルギーは自殺には向かない。生きて彼らを告発することに向かうはずだ」

11 :実習生さん:2008/02/22(金) 02:12:01 ID:DGonTg++
http://www.nhk.or.jp/bsdebate/0708/debater1.html
まず断っておきたいのだが、狭い空間に強制的に閉じこめ、
心理的な距離を自由に調節することができないようにして、赤の他人と無理矢理べたべたさせる、
そして過密な「かかわりあい」のなかで誰かが誰かの運命を左右するのが容易な「迫害可能性密度」が高い生活環境の中にあっては、悪質ないじめは、時代に関係なく、必ず蔓延する。
今の日本の中学校でも、戦前の日本の軍隊でも、江戸時代の大奥でも、
そういうねずみの過密飼育実験のようなことをすれば、
いじめがひどくなるのは当然で、それは人類普遍の現象だ。
いじめは、児童虐待やDVと同様、人権や個の尊厳に価値がおかれなかった昔のほうが、
ただ問題にされなかっただけで、もっと酷かったと予想される。
戦争中に集団疎開した世代が経験したいじめがいかに陰湿なものだったかは、
彼らの回想録やインタビューなどに記録されている。
いじめは最近の問題ではなく、わたしたちが長年苦しんできた普遍的な人類の病気だ。
いじめを減らす地球規模のプロジェクトを始めようとわたしは言いたい。  
いじめは二つに分類できる。
一つは暴力系のいじめ、もう一方はシカト、くすくす笑い、
悪口などのコミュニケーション操作系のいじめだ。
それぞれ別の方法で対処する。
まず、暴力系のいじめは犯罪なので、法的に対処し必要ならば警察や弁護士にまかせるべきだ。
加害者の生徒を出席停止にすることにも賛成だ。
教師が子どもをいじめている場合は教師を懲戒免職にすべきだ。

12 :実習生さん:2008/02/22(金) 02:13:22 ID:DGonTg++
http://www.nhk.or.jp/bsdebate/0708/debater1.html
問題は、コミュニケーション操作系のいじめだ。
隠微で曖昧な笑いやしぐさ、どうとでもとれる言葉を「いじめ」と判断し、処罰を下すことは、
現実的には不可能だ。
見えないステルス爆撃機のように、目の前で生徒がいじめをしたことを気づかない。
特に男性に思春期の女の子のちょっとしたしぐさのいじめを見抜く能力を期待するのは、
神の目を演じろと要求するような、無理な話だ。
しかし解決は簡単だ。学級制度を廃止すればいい。
子どもたちを限定された空間と人間関係に軟禁する学級制度を廃止して、
より広い生活空間で友だちを自由に選べるようにすれば、
コミュニケーション操作系のいじめは、あっというまに他人を苦しめる力を失ってしまう。
日本の学級ほど人間関係がタイトで、
一つの空間に同じ集団が朝から夕方までキチキチと押し込められる例は、めずらしい。
この中で、誰かから人としての尊厳を踏みにじられるような行為を受けたとしても、
閉ざされた人間関係にあってはその子は無理に心を屈し、嫌われない努力をするほかない。
『迫害してくる相手とは適度に距離を置く』という、
一般社会では誰もがやっている心理的な距離の調節を、
子どもにだけ許さないのが現在の学級制度なのだ。
そこに、コミュニケーション操作系のいじめが生まれる。

13 :実習生さん:2008/02/22(金) 02:14:42 ID:DGonTg++
http://www.nhk.or.jp/bsdebate/0708/debater1.html
本来、机を並べる相手は授業ごとに違っていていいし、
いつもの教室で決まった相手と食べる給食ではなく、
カフェテリアで気の合う相手と食事をするスタイルでもいいはずだ。
部活動にしても学校に頼る必要はない。
ドイツなどが典型だが、子供たちはスポーツや文化活動も学校とは別の地域クラブに所属して行い、
そのたびに人間関係のバリエーションを増やしている。
これに対しクラスという枠に固定され続け、
ほとんどその範囲内でしか人間関係を選べないのが日本の子どもたちの現状だ。
もう一つは、学校を神聖化することをやめるべきだ。
これまで日本では、学校を神社仏閣のようにあがめ、教員を聖職者のように扱ってきた。
その結果、学校を中心にして、子どもたちを、魂の深いところから、
「学校の色」に染め上げてしまうことが、残酷ないじめや市民的自由の剥奪など、
様々な問題を引き起こしているのだ。
彼らは学校で閉鎖的な集団生活さえしなければ、こんな「学校色のけだもの」にならなかったはずだ。
人を集団生活に染め上げる学校には、有害環境としての側面もある。
学校のあるべき姿をまとめる。生徒にせよ教員にせよ、暴力に対して厳罰。
少なくとも第二次成長以降は、学級制度を廃止する。
べたべたした集団を強制せず、服装や生活態度は自由。
自由な服装やピアスやチャパツなど、外の社会で許されることは学校でも許される。
暴力や、暴力的な内部組織による支配、
先輩後輩などの身分的な上下関係による命令と服従の強制など、
外の社会で許されないことは学校でも許されない。
就職や資格認定など能力によってふりわけられる社会の厳しさは、学校でも取り入れる。
学年制を廃止して単位制にし、学習の到達度は厳格に審査する。
学校を、普通の市民社会の論理で運営する。あれもこれもと、生徒の生活を過度に囲い込まな い。
学校に生徒のありとあらゆる生活機能を押しつけない。
部活は廃止し、公共の財産である土地建物を、半日は学校施設として使い、
後の半日は社会教育の施設として地域の市民クラブに施設を貸す。
生徒は、半日は学校教育で、あとの半日は市民クラ ブによる社会教育によって、
教育福祉サービスを受ける。

14 :実習生さん:2008/02/22(金) 02:17:00 ID:DGonTg++
http://d.hatena.ne.jp/izime/
『山形新聞』2008年2月10日(日曜日)書評欄
「闘うための理論と希望学ぶ」
〈評〉滝口克典・若者の居場所NPO「ぷらっとほーむ」共同代表
 新庄・明倫中学「マット死」事件から一五年がたった。とはいえ、昨今の「いじめ」をめぐる事件報道を見るに、人々のいじめ観やいじめ対策のありかたにはほとんど変化がない。
相も変わらず「生徒個人の心の歪み」へと問題を矮小(わいしょう)化し、お説教でお茶を濁し続けている。かくして悲劇は続いていく。
 私たちはいまだ何も学んでいない。その凄惨(せいさん)さや残酷さゆえに直視しがたい「いじめ」というものを、しかし、社会学者である著者は直視し続けた。
見えてきたのは、いじめが生成・繁茂しやすいような特定の集団や秩序のありかたが存在する、という事実だ。
 それは何か。著者曰(いわ)く、自分とみんな(全体)の関係では、自分の自由より全体の価値を例外なく優先させよ、
全体への奉仕や全体の利益を何より大事にせよ、それができないやつに生きる資格はない(=いじめられて当然)、
といった秩序感覚であり、これを全体主義と呼ぶ。
 全体主義というと「国家全体主義」を想起しがちだが、会社や町内会、宗教団体などの中間集団も全体主義の担い手になりうる。
こうした「中間集団全体主義」のモードが推奨される社会空間の典型例が学校だ。学級の地獄を生き抜くには、いじめへの加担こそが合理的であり割に合う。学級は人々を獣に変えるのである。
 ではどうするか。著者の対案は明晰(めいせき)で明快だ。第一に、全体主義を強いる閉鎖空間がいじめの苗床なのだから、学級制を廃止する。
これで「シカト」などコミュニケーション操作系のいじめは不可能となる。第二に、暴力に対しては警察や弁護士を介入させる。これで暴力系のいじめは困難となる。
 こうした「いじめの社会理論」は、「マット死」事件後の現地調査で着想されたとのこと。著者はそこに「中間集団全体主義」のモードを生きる人びとの群れを見た。
その意味で本書は、山形に生きる私たち全てにとって他人事ではない。
だがまずは、群れの中で今にも窒息しそうな「あなた」に届いてほしいと思う。闘うための理論と希望を、本書は与えてくれるだろう。

15 :実習生さん:2008/02/23(土) 11:33:57 ID:G/tSDjkv
>>2
体育館でいっぺんに授業をやるのは効率的でいいよね、イジメも
無くせるし。余った教員が生徒の角席を巡回して個別指導もできるし
一石二鳥。


16 :実習生さん:2008/02/28(木) 01:25:26 ID:4lliPHFC
クラスを作らないで単位制にするといいよ。
今単位制に居るけどイジメ0だ、中学もこうして欲しかった。
確かに他者とコミュニケーションは取りづらいけど、
イジメがなくなったほうがよっぽどいい。

17 :実習生さん:2008/03/07(金) 19:28:38 ID:+PTVuB79
教師が授業で生徒を暴言吐いたりしてイジメたり、教師が陰で生徒の悪口を言っている。
だから、2年前に福岡県の公立中学で元担任によるイジメ扇動により男子生徒が自殺が起きる。
つまり、生徒が生徒をイジメてるのではなく、教師が生徒をイジメてるのだから、生徒のイジメはなくならない。
しかも、生徒をイジメている教師には、指導・しつけと称してイジメているから、イジメている自覚すらない。
中学に多い。

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